私は今、目の前の現実に驚愕している。まるで、夢を見ているようだ。あのまねきケチャが武道館でトロッコに乗って何かを投げているのだ。大切なことなので、もう一度言う。あのまねきケチャが武道館で歌を歌いながらトロッコに乗ってファンに向かって何かを投げているのである。
まるで、“あの乃木坂46の齋藤飛鳥かのように”。
女性に生まれたからには、誰しも一度はトロッコに乗ってファンに何かを投げてみたいと思うものである。しかし、殆どの女性が志半ばにして、その夢を諦める。手足の長い友達に劣等感を抱いたとき。クラスのマドンナと比べて自分の華の無さを嘆いたとき。その道は果てしなく険しい。スクールカーストの頂点の、さらにその先の雲の上まで登りつめて、初めてトロッコに乗ってファンに向かって何かを投げることが出来るのだ。彼女達は、生まれてから今日までトロッコに乗ることを諦めなかったのである。
現在、日本にアイドルグループは約3,000組あると言われている。アイドルになるだけなら、それほど難しくない。その中でまねきケチャはシーンとトップに君臨している。
“地下アイドルが憧れる地下アイドル” それがまねきケチャだ。
日本で実際にトロッコアイドルになれるのは片手で数えるくらいである。つまり5組。3,000組の中の5組であるから、実際にはアイドルの中でも0.16%しかトロッコアイドルにはなれない。
それを、今夜、“地下アイドル界の巨人”まねきケチャが成し遂げた。あの岡山の自動車工場で働いていた藤川千愛が成し遂げたのだ。
その光景に私の目頭が沸騰する。
その後のMCで宮内凛が卒業したメンバーである藤咲真有香にも感謝を告げる。「ぎょっへぃ!」私は、思わず声をあげてしまった。「忘れてた!」「まゆたのこと忘れていた!」彼女もまた、トロッコアイドルを夢見て栃木から上京して夢破れた者である。
最初に、まゆたを見た時の衝撃を今でも覚えている。
二年くらい前であろうか。当時、勢いのあるグループのまねきケチャに藤川千愛というえげつない歌姫がいるという噂を聞きつけてライブハウスに出掛けたのである。そこでは藤川のすばらしい歌声を堪能することができた。しかし、私が出会ったのは“まゆた”こと藤咲真有香である。彼女は藤川の隣で壊滅的な歌声を披露していた。彼女だけリハーサルと勘違いしているのではないかと思ったくらいである。しかし、私はまゆたに途轍もなく惹かれたのだ。あの瞬間、まゆたは私のアイドルになった。そんな彼女のことを私は今迄、忘れていたのである。
あの娘のこと好きだった。
だから、見たくなかった。
まゆたのいないまねきケチャを。
まゆた抜きでまねきケチャが成立するのを見たくなかったのだ。
新メンバーの深瀬美桜がまゆたと同じ黄色の衣装を着て舞台に立つのを見たくなかった。随分、情けない男である。しかし、現実から目を背けるのは今日で終わりだ。
まゆたの穴は完全に埋まっていた。
歌とダンスだったら深瀬の方が数段上手い。
武道館公演。最高のライブだった。欲を言えば最後に『きみわずらい』を三回連続で歌ってくれたら100点のライブであった。