日曜の昼下がりのことである。私は、タワーレコードで行われた、BILLIE IDLEのリリースイベントの帰りに、JR高崎駅付近の歩道を歩いていた。
すると、前から補助輪付き自転車に乗った子供が近づいて来たのだ。とても、微笑ましい光景である。すっかり忘れてしまったが、私にも、そんな季節があったことだろう。気が付くと子供は私の目の前までやって来ていた。このままでは、ぶつかってしまう。こんな時、私は決して慌てることはない。私には、若さと引替えに獲得した経験というものがある。人生経験の浅い者だと、慌てて左右どちらかに避けてしまうことであろう。その場合、自転車も同じ方向に避けていたら追突してしまう。つまり、私が左右に避けた場合、二分の一の確率で自転車と激突してしまうのだ。私は、そんなリスクは侵さない。人生とは、地道な作業の繰り返しである。ここは、歩道だ。歩行者である私は、道路交通法上保護されているのだ。簡単なことである。自転車側から見れば、このまま直進すると、私にぶつかってしまう。過失10割である。左右どちらかに避けるのは必然と言える。そこから導き出される答えは一つしかない。私は、ただ、そこに立ち止まっていればいい。自転車は、立ち止まっている私を確認してハンドルを切れば、簡単に私を避けることが出来るのだ。 これが、若者にはない老兵が持つ知恵と言うものである。私は、ただ自転車が通り過ぎるのを、過ぎ去った季節に思いを馳せながら待った。
その時である。私の下腹部のアナキン・スカイウォーカーに激痛が走ったのだ!パニック!何と、子供は、私を避けることなく、直進して来ていたのだ。
私は、何かを見落としていた。子供は、道路交通法を理解していなかったのだろうか。いや違う、私が見落としていたのは、咄嗟にハンドルを切ることが出来なかった子供の運転技術の未熟さであった。補助輪を付けている時点で、運転技術が未熟であることに気付かなければならなかったのだ。痛みと己の知恵の浅はかさに怒りがこみあげて来た。しかし、ここで怒ってはいけない。私は、大人だ。大人は感情というものを直線的に表現したりしない。「おじさん、ごめんね」と素直に謝ってくれれば、笑って許してやろう。子供はこの国の宝だ。
激痛に耐える私と子供との間で気まずい沈黙が続く。
永遠にも感じられる数秒間の沈黙を終えて、子供は、無言のまま、私を避けて走り去っていった。 私は、世界から愛されていなかったのだ。私は、この世界というものを憎悪した。