そこには満天の星空のような光輝く笑顔が降り注いでいた。夜空を全部合わせたような多幸感という名の絨毯爆撃が観客を襲う。レコード店の片隅でも百貨店の屋上でも関係ない。神﨑にとっては全てのステージが特別なのだ。神﨑は現場を楽しんでいた。譜面では描けない仕草。神﨑は今日も神﨑風花を生きていた。
その男は神﨑のパートになると決まって神﨑を指差していた。
タワーレコード新宿店7階イベントスペース。
これは新しい「ケチャ」か何かなのか?
「ケチャ」とは自分の推しのアイドルが落ちサビを熱唱している時に手の平を広げて上にかざすポーズである。アイドルを全力で崇め、こちらの気持ちを捧げるのだ。
しかし、その男は落ちサビでもないのに全ての神﨑パートで神﨑を指差していた。
私はその男の横顔を覗いて見ることにした。
さぞ、嬉しそうな顔をして神﨑を指差ししているに違いない。この変態野郎が。
しかし、私はその男の表情を見て悲鳴を上げそうになってしまったのである。
なんと、その男の表情は全くの虚無であったのだ。神﨑指差しオジサンの顔からは一切の感情というものが欠落していたのである。
経理が営業に「ども、ここの伝票のところ10円違います」と伝えるかのごとく全くの虚無の表情だったのだ。きっとロスジェネに生まれて、心までロストしてしまったタイプのやつである。私も一歩間違えればあちら側にいたかもしれない。私はたまたま運が良かっただけだ。
もし、私が神﨑だったらこんな虚無の表情で自分のパートの度に指を差されたら、震えあがってしまってパフォーマンスどころではないだろう。
今日は、新曲のリリイベ初日だというのに。ふうちゃんも不運に見舞われたものである。今作の『flash』は是非ともヒットさせなければならない。人気アニメのタイアップを取って来たワーナーからのプレッシャーが、私達オタクの肩にものしかかって来る。ここで積まなきゃどこで積むんだ。私はズボンのポケット中のくしゃくしゃになった千円札を握りしめた。プロデューサーの照井氏も会場の隅で見守っている。エースの神﨑のプレッシャーは私達オタクの比ではないはずだ。
私は気を取り直してステージ上の神﨑に視線を戻すことにした。流石の神﨑もこの度重なる指差し攻撃には、満足に踊ることなど出来まい。リリイベの初日に駆け付けたことが仇になってしまったか。
しかし、神﨑は微塵もそんなそぶりを見せることはなかった。
嘘がない 本当に 嘘がないのだ
ごまかしがない
計算ではなくて
本気度が高いのだ
神﨑はその豊かな表現力からその表情は「日本の四季」を現わしていると言われる。そして、その歌声はいつしか「日本の心」と評されるようになった。
別格の人
儚げでありながら
凛としたたたずまい
その人は日本でただ一人こう呼ばれている。
「ふろぷろ史上最高傑作」
神﨑風花という存在は一介の労働者でしかない私達オタクの大きな希望なのである。
一生懸命働いて
なけなしの賃金を手にして
恵比寿の定期公演に通って
ステージ上の神﨑を見て
チェキを撮って
「よし、明日もまた頑張って働こう」という気持ちにさせる。
正に星のような存在である。
今日こそは絶対まなちゃんと2チェキを撮って帰ろうと強い決意で臨んでも、気が付いたら私達はなぜか神﨑列に並んでいるのだ。
sora tob sakana は約束する。
「もっと高く遠い場所に連れて行くから」
改めて神﨑のレスの正確性に驚かされた日であった。神﨑はどんなに視界が悪い場所から見ていても必ずレスを送ってくれる。なぜ、身長もそれほど高くない彼女にそんなことが出来るのだろうか。私は驚くべき結論に達しざるを得なかった。
神﨑は踊りならが客席を真上から見ている。
元柔道の金メダリストの谷亮子選手は集中力が最大になると戦いながら自分を真上から俯瞰して見ているという。一流のアスリートはこれをゾーンと呼ぶ。神﨑もまた、一流のアスリートと同じように集中力を高めることによってゾーンに入ることが出来るのだ。
拍手が鳴りやまない店内。初披露された変態的とも言えるカップリング曲『パレードがはじまる』。震えるような感動が私の体を支配する。そこには圧巻のステージングだけが存在した。
神﨑指差しオジサンも心のうちではきっと満足してくれただろう。
私は、神﨑指差しオジサンをもう一度盗み見ることにした。
拍手をしているが、神﨑指差しオジサンの表情は変わることはなかった。
しかし、ざわめきのなか、その頬には一滴の雫が流れていた。
————-キリトリセン————–
2019.11.12 タワーレコード新宿店『flash』リリースイベント
<セットリスト>
whale song
1. flash
2. 魔法の言葉
MC
3. パレードがはじまる
4. New Stranger