星野みなみが動いている。
星野みなみが目の前で動いている。
それだけだけで、なぜこれほどまでに尊いのだろうか。
2019年8月30日。乃木坂46、真夏の全国ツアー。神宮球場一塁側12段67番席。
『自惚れビーチ』を歌いながら星野みなみがゴンドラで近づいてくる。
私は声を限りして叫んだ!
レッツゴーブレット!レッツゴーブレット!
なぜ星野みなみがゴンドラで近づいて来るだけで、これほどまでに多幸感が私の身体を貫くのだろうか。
星野みなみという名の暴力と言っていい。
星野みなみというアイドルは歌唱力やダンスの正確性という小手先の技術に頼ることはない。
なぜなら星野みなみはアイドルの本質を理解しているからだ。
アイドルの本質とは言うまでもなく“可愛い”ということである。アイドルの真髄と言ってもいいであろう。
昨今のアイドルが毎日のように自撮りをブログにアップしたりして人気を得ようと努力しているなか星野みなみはそんなことはしない。
なぜなら面倒くさいからだ。
我々は日々、周りの目を気にしながら生きている。
自分自身を押し殺してなんとか社会の歯車の一員になることに必死になっている。
落ちこぼれ無いように、目立ち過ぎないようにして日々をやり過ごす。
そうやってなんとか社会と折り合いをつけて生きているのだ。
しかし、星野みなみにはそんなことは関係ない。
私が彼女を初めて見たのは2012年のPARCO劇場で行われた『16人のプリンシバル』だろうか。
その時の衝撃を今でも忘れることが出来ない。私は自分の目の前で起きている現実を理解することが出来なかったのだ。
なんと、星野みなみは台本を持ったまま舞台に上がって来たのである。
観客は割れんばかりの拍手喝采。
当時のことについて同期の生田絵梨花は次のように発言している。
「勝てないと思った」
今では日本代表するミュージカル女優である彼女にここまで言わせたのは、おそらく星野が初めてであろう。
普通、役者が台本を持ったままステージに上がったら「ふざけるな!」とヤジが飛ぶであろう。
それでも星野みなみの場合は許されてしまうのである。
なぜなら星野みなみは“可愛い”からだ。
星野みなみは演じる必要もない。セリフを覚える必要すらない。そこに存在する事に意味があるのである。
PARCO劇場から7年。アンコールで星野みなみがゴンドラから何かを投げている。
その動きはエンゼルスの大谷翔平の投球フォームの様に美しかった。
コメント
コメントはありません。