私が中元日芽香が覚醒したのは、2015年8月31日のツインテール封印宣言がきっかけであると思っている。
それ以降、前髪ぱっつんツインテールひめたんを見ることは無くなってしまった。
私は2015年8月31日以前を中元日芽香第一章、2015年9月1日以降を中元日芽香第二章と定義している。
最近の文献によるとツインテールを止めようと最初に相談したのがオリエンタルラジオの中田氏であることがわかった。
つまり、高校卒業と同時にNHKのラジオ番組「らじらー!」のレギュラーが決定した時から第二章の前兆は始まっていたことになる。
彼女を覚醒させたラジオとは彼女にとって一体どんな存在なのだろうか。
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女子アナさんになりたかった
実家にいた頃、習い事の送り迎えの車の中でラジオはよく聴いていた。
本格的に聴き始めたのは乃木坂に入ってからで、声優さんのラジオ番組が好きで聴き始めたのがきっかけである。
乃木坂に入ってなかったら女子アナさんになりたかった。
人の話を聞くのが好き。
ラジオを聴くのが好き。
普段から人と話していても「この人はこういう癖があるんだな」とか「ら行の滑舌があまり良くないな」とか、そういうことをよく意識して聴いてしまう。
街中で「今、いい声の人が通った」と意識することもあった。
中学の時に所属していた放送部は本格的なものだった。
大きな大会が年2回、県大会とNHK主催の全国大会に参加していた。
そこには部門が4つあって、個人アナウンスと朗読、それと全体でテレビ番組やラジオ番組を作るものがある。
だから「放送部で大会に出てました」って言うと、「そういうのがあるんだ!」ってよくビックリされる。
私が中学2年生の時に赴任してきた先生が放送コンテストに強い先生で、その先生のおかげでみんな本格的に活動するようになった。
私が卒業した今でも、そういう大きな大会で優勝しているみたいだ。
アナウンサーを目指すきっかけは、小学生の頃に声を使ったお仕事をしたいなと思ったことである。
それこそ卒業文集にも「将来の夢は女子アナ」って書いてたぐらい、漠然とした感じだけど憧れがあった。
きっと車の中でよくラジオを聴いていて、アナウンサーが身近な存在だったのかもしれない。
中学の頃は自分の声がどうなのかっていうのもよく分かってなくて「誰ですか?」っていうぐらい口調を作り込むことが多かった。
それでよく先輩に「声を作り過ぎるな。もっと中元日芽香が喋ってますって感じを出さなきゃダメだ」と言われた。
でも、それがどういう意味か分からないまま卒業してしまった。
しかし、今では声を作ってる時点でその人らしさが欠けてしまうということは理解できる。
作り込んでいたくらいなので、自分の声のことは当時は良くは思ってなかったんだと思う。
最近は声を褒められることが多くなって、それで昔よりも認められたというか、声だけはちょっと誇ってもいいのかなと思えるようになれた。
ラジオに興味を持つようになってから、いつかラジオのお仕事ができたらいいなと思っていたので、今の環境はすごく恵まれていると思う。
他のメンバーがモデルや女優として活躍するなかで、私にはラジオというホームができたのは素直にうれしい。